「マッドマックス 怒りのデス・ロード」をみた
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を見ました。
「マッドマックス」と言えば、みんなが大好きな映画だ。持論に「タイタニックはあんなに売れたのに『好きだ』という人に実際会ったことがない」というのがあるが「マッドマックス」については、売れてたし、実際私の周りはみんな見ていた。みんな一様に絶賛だった。「見ろ」と言われた。で、見た。
そういうものに「ハーそーなんですかー」という態度を取り続けてきたがここ数年でもういい年だしそういう態度はやめようかなと思って、見た。素直になりたいと思って。もちろんそこにはまだ「どんなもんじゃい」という生意気な自意識が残りながら。
だってさ「みんなが面白い映画」ってさ、なんかこうよ……笑って泣けてさ……泣かしにかかるエモいヒューマンドラマのくだりがあってさ、猫でも分かる起承転結があってさ……そういうんじゃないのかよ、んだよ……私はそういうのいいんだよ。
と思っていたら、ほんと見始めて5分。マジですみませんって気持ちになった。
なんだよ!
ただのめっちゃカッコいい音ハメカーアクション痛快バカ映画じゃねえか!
思ってたのと違うよ! 素敵かよ!
「マッドマックス」はシリーズもので1979年にシリーズ最初の映画が公開されている。「ブレードランナー」の一発目が1982年だからそれよりも数年歴史の長い映画ということだ。
この辺のことは見終わってから調べたことだ。つまり「マッドマックス」を見る前まで本作がシリーズものとは露知らず。しかし見始めてすぐ「ブレードランナー2049」を映画館で見始めたときに味わった感情がふわーっと蘇る。そして思うのだ。
「ああ、これは長年の歴史の下積みのもとにある映画だ」と。
「ブレードランナー2049」しかり「マッドマックス」しかり、見てないけど多分「スターウォーズ」しかり、歴史の長い映画だけが醸し出すあの独特の雰囲気ってなんなんでしょうね。何か、あるよね。
でもそれはけして説明が足りないとか世界観が難しいとかまして「今回から見たやつお断り」みたいなものではない。むしろ説明は足りている。分かる必要のあることがキチンと描かれ、分かる必要のないものは「分かる必要ないよ」というムードを添えた上で、整理されて提示される世界観たち。
そこまで親切に整理されたてもなお新参者が感じる、裏にある膨大かつ贅沢な設定群たるや。
1979年から誕生したマッドマックス。その製作者とファンたちが作り上げてきた履歴の結晶。なんかそこに、一言で言えば、しびれちゃう。
話の展開は「荒廃して砂漠となった世界で生きる人々が車やバイクでアクションしながら殺し合って最後いい感じになる」話。これまでのマッドマックスの積み上げた履歴の結晶をじゃぶじゃぶ使いながら、でも「こまけーこと良いからこのカッコよさとスピード感を浴びろ、オラオラ」のノリ。
上演時間は2時間。そのうちおよそ1時間40分くらいが「吹き荒れる砂嵐、止まらない血液、大規模の爆発、乱れ撃つ弾丸および飛び散る手足」で構成されている。一息つく間もなく、常に誰かが命の危機にさらされている。BGMもギャンギャン鳴り続けていて、そのビートに合わせて音ハメでポンポン人が死ぬ。そのビートに身体がノレると見ていてかなり楽しい。
私は「トライガン」「血界戦線」を代表作とする漫画家内藤泰弘さんを敬愛しているんだけど、彼の漫画も「カッコよさを突き詰めたバカ漫画」だ。「マッドマックス」にはそんな内藤泰弘の愛する世界観を感じた。まずはカッコよさのビートがあって、物語はそこにノる副旋律でしかない。物語もモチーフも全部カッコヨサの奴隷だ。
いいよねえ、なんかこういう「かっこよきゃいーんだよ、ゴチャゴチャうるせー」って感じの作品。カッコよさの前にディティールや繊細さがことごとく敗北している感じ。たまんないよね。
それでいて厚みの部分はちゃんと「マッドマックス」のシリーズとしての履歴が支えているんだから、鬼に金棒なんじゃないの。
そして何より、こういう映画を多くの人が支持しているということにグっときた。「泣ける」とか「感動」とか、そういう売り文句じゃないこんなカラっとした作品を、多くの人が楽しんでいる。それが何より素晴らしい。
ごちそうさまでした。まんまとドキドキしました。人がいっぱい死んだのがドキドキして怖かったです。